ひとり言

悩み.問題の究極の解決方法

悩み.問題の究極の解決方法

・・・それは、その出来事なり状況を「悩みだと思わない」

「問題視しない」ってことです。

(それができれば苦労はないのですが!)

 

どなたかが書いていたものの中に、次のようなものがありました。

 

ある朝、雨が降っていた時の、三人三様の受け取り方です。

Aさん「大事な予定がある日に限って雨だ!全く自分は雨男(雨女)だ!」

Bさん「雨でイヤだな。でも雨降って地固まるって言葉もあることだし、

気分をポジティブに切り替えよう!」

Cさん「あ、雨だ。傘さして行こう。」

 

(以上うろ覚えなので正確ではないかもしれません。)

 

とても単純な例でしたが、三人の中で一番ストレスないのはCさんですね。

出来事や状況に「意味づけ」をしない。

「諦める」のでもなく「甘んじる」のでもなく、ただ「受け入れる」のです。

とても難しいことですが。

 

人間なので当然感情はあります。

その出来事なり状況に、怒ったり悲しんだり不安になったりします。

その感情を持った自分を「ダメだ」とか「悪い」とかジャッジをしないことです。

 

あなたがその「意味づけ」や「ジャッジ」から自由になれないような時は、

他の誰かに話してみるのも良いかもしれません。

 

私達もそのためにいますから。                               

佐藤 聡子

大人になってからする勉強

大人になってからする勉強には2種類あると思います。

1、必要に迫られてするのじゃなく、純粋に興味があり、知りたいから学ぶもの。

2、(仕事上、またはその他の理由で)必要に迫られて学ぶもの。

 

①、の場合には喜びが伴います。勉強って本来楽しいはずのものだから。

②、の場合、中には、自分にないもの.足りないものを次々に探し出し、

それを補うために、次々に強迫的にあちこちのスクールや講座を

渡り歩くような人をたまに見かけます。

いつまでたっても自分にOKが出せずにキリがないのです。

次々にいろいろな資格を取る人も同じかもしれません。

 

「ないもの」を探すより「すでにあるもの」「もう持っているもの」に

気づきたいですね。

不足感はさらなる不足を呼びますから。

 

私自身は「大人になってからの勉強は楽しい!」と、最近改めて感じています。

   学生時代そんなふうに思ったことは一度もなかったのですが!

一生勉強ですね!

佐藤 聡子

価値

価値って誰が決める?

一般的な価値は世間が決めているのかもしれない

でも、

子供の頃を思い出して

何でもないガラクタを宝物として扱っていたことを

そこには一般的な価値に捉われない、自分だけが見つけ出した価値があったはず

自分に価値が無いと思っている人、

自分というガラクタの山から

自分だけが知っている宝物を見つけ出して下さい。

かけがえのない宝物が必ず見つかります。

どうしても見つけられないと思った時は、一緒に宝の地図を広げましょう!

大出 貴一

眠れぬ夜は

眠れぬ夜は何をする

 

ひつじの数をかぞえよう
ひつじの数が増えてきて
いくつになったか分からない

 

眠れぬ夜は何をする

 

手足に意識を集中し
筋弛緩法を行おう
手足がだんだん重くなる
ついでに瞼も重くなる

 

眠れぬ夜は何をする

 

頭の中を空にして
遠くの音を聴き取ろう
徐々に意識を近づけて最後に
心臓の音を聴き取ろう

 

それでもやっぱり駄目な日は
蒲団をもそもそ這い出して
好きなお酒をちょっとだけ
身体がポカポカしてきたら
そのまま蒲団に潜り込もう

 

眠れぬ夜は・・・
  何をしても眠れない・・・

 

         佐藤美代子

「人生がうまくいかない人の共通点」

いろいろな方のカウンセリングをさせていただく中で、

 

人生がうまくいかない人、

 

悩みを抱えてしまう人の共通点に気づきました。

 

ずばり、被害者意識の強い人です。

 

その人の「考え方や信念や前提や思い込み」が悩み、

問題を作ったり呼び寄せたりします。

 

その中でも特に、被害者意識の強い人ほど、

幸せを遠ざけているように見えます。

 

 

被害者意識とは、自分の悩み、苦しみの原因を

誰かのせい、何かのせいにすること。

 

親のせい、子供のせい、友達のせい、
夫のせい、妻のせい、会社のせい、上司のせい、

 

部下のせい、スタッフのせい、客のせい、
生まれのせい、境遇のせい、環境のせい、

 

社会のせい、学校のせい、お金のせい、
方角のせい・・

 

果ては、家(会社)に飾ってある絵画のせいや、

人の着ている服の色のせいにまで
する人も見てきました。

 

そういう被害者意識がある限り、

「誰々が◯◯してくれれば」「何々が△△にさえなれば」
「××さえ手に入れば」という考え方から自由になることはできません。

 

幸せは「誰それ」によってもたらされるものでも、

「何々」によってもたらされるものでもなく、

 

自分(の考え方や信念や前提)によってもたらされるものですから、
被害者意識を持たない(手放す)ようにしたいものです。

 

「私は被害者意識なんて持ってない」と皆さん思いますよね?

 

でも、ないようであるのがこの被害者意識です。
たまに自分自身を見つめ直したいものです。

 

 

                          佐藤 聡子

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